最近ヨーグルト漬けに凝っています。といってもヨーグルトに塩や味噌や昆布を混ぜたタレにいろいろ漬けるというもの。
野菜を漬けると、発酵した香りがして、浅漬けよりコクがあり「漬け物」っぽさが増します。
野菜を漬けた後は、二次利用としてお肉を漬けます。冷蔵庫で長く保存できるようになるし、下味もついて一石二鳥。お肉を柔らかく仕上げる効果もあるみたいです。漬け汁ごと煮込み料理に使ってしまえば余す事無くフル活用できます。カレーや筑前煮風にして使ってみましたが、ヨーグルトの酸味は消え、まろやかなコクになります。
仕分け遊び
先日、甥っ子の子守りをしていたら、彼が数種類のカルタをごちゃ混ぜにして床に散りばめて楽しんでおりました。このまま散らかしっぱなしは困るな…と、いろいろ策をめぐらせ、「仕分け遊び」というのを思いつきました。
散乱したカードを拾いながら、仕分け場所にカードを置く時、「あ、あ、あーおだよゥ!」「ピピピピピンク、ピンクだよ!」「ライオンちゃんライオンちゃんライオンちゃんだよゥ!」「クマ、クマ、クマちゃんだよ!」とラップ風というかDJ風というか、とにかくリズミカルな調子でカードの種類を口ずさむのです。
これが予想以上に甥っ子の壷にはまり、本人も楽しそうに仕分け(片付け)始めました。
順調に仕分けが終わり、「わーい!できたね!」と笑顔のフィニッシュ、我ながら作戦大成功かと思ったのですが…、
「もう一回!」というリクエストの声と同時に、バサバサとカードはシャッフルされバラ播かれたのです。
こうして、仕分け片付けてはバラ播き散らかすという禅の世界を連想させる「仕分け遊び」が延々と繰り返されました。何だか人生の奥深さを味わわせていただいた気がします。どこかの神様、ありがとう…。
さんま三昧
秋刀魚の季節になってきました。義兄さんの家より旬の秋刀魚をいただきました。
産地直送便の発泡スチロール箱を開けると、氷水の中にキラキラ輝く秋刀魚がギッシリ!見るからに美味しそうです。
塩焼きにしたり、梅干しとショウガで甘辛く煮付けたりしていただきました。
キュウリの辛子漬け
最初はスーパーで辛子漬けのもとを買ってやってみたのですが、少しニュアンスが違い、自分なりにいろいろ配合を変えて漬け比べてみました。
その結果得られたベストな配合比が、キュウリ2本に対して、塩小さじ1/2 弱+ からし粉小さじ1/2 + 砂糖大さじ2です。
漬け方は、配合比で合わせた粉をビニール袋に入れ、その中に洗って水を拭き取ったキュウリを丸ごと入れ、粉をよくまぶしながら揉みます。あとは袋を密封して1〜2日漬け込みます。黄色い汁が出てきて、キュウリの表面がシワっぽく、しんなりしたら完成。
辛子漬けと言っても、奈良漬けみたいに癖がなく、さっぱりして、ほんのりピリ辛です。美しい緑色が際立ち、暑くて食欲が無い時でも、パクパク食べちゃえます。
一個のゴーヤから。命の継承物語。
黄色い花は沢山咲いてそれなりに楽しめたのですが、実は一粒だけしかできませんでした。それも小さい。しばらく待てば大きくなるのかなと思って様子を見ていたら、黄色く熟してきてしまいました。あわてて収穫し、とりあえずゴーヤチャンプルというか、豆腐チャンプルーにゴーヤをトッピングした料理にし、美味しくいただいたのです。
完熟ゴーヤだったから、もしかして「種」使えるかな?と思い、小さなポットに乾いた土を入れ、その中に突っ込んで保管し、冬を越しました。
春になって、そのポットを他の植木鉢と一緒にベランダに置き、適当に水をあげていたら、ニョキニョキ芽を出し始めていたのです。数えてみると7株もあります!
あんなに小さいゴーヤから、7つのジュニアが生まれるとは予想外でした。過酷な我が家のベランダで親ゴーヤが必死で命を繋ごうとしたからかもしれません。
同様に、昨年こぼれた種から、シソやニチニチソウも芽を出して成長中。
気まぐれガーデナーの下では、強い生命力の植物達が子孫を残すという生態系が築き上げられるのです。自然の力は偉大です…。
金環日食の和
今朝の東京は、金環日食で大盛り上がりでした。
心配されていた天気も、我が家周辺は薄い雲がちらつく程度で問題無し。7時過ぎになると、子どもたちの嬉しそうな声が聞こえてきました。
7時半近くになりいよいよ日食のピークという頃、東側の玄関から外を見ると、隣の家の御婦人も太陽を見ていました。
驚いたのは、隣にある、いつもは殺伐とした感じがする大型マンションの南向きベランダ。ずらっと並ぶ窓辺にこんなに沢山の人が現れていることなんて今までありませんでした。普段は人間関係の希薄な都会の住宅街が、今日はお祭りみたい。
明るい空に向かう人達の表情は、とても穏やかです。
子どもたちが「凄い!」「わーっ輪っかだあ!」「見て、見て、環だ、環だ!」と感激の声を発しています。
確かに太陽の形の変化も感動的ではありましたが、一番の感動は、それを見ている空間でした。太陽が月に隠れたというよりも、一緒になって、みんなの和を成したという感じが素敵でした。
一緒に日食を見ていた主人は、様々なご近所の動向を発見し楽しんでいました。
同じマンションに住んでいた娘さんが、隣の大きなマンションに移り住んでいたこと。推測するにご両親家族は私達と同じマンションで、娘さんは結婚して隣のマンションに引っ越した…。
サラリーマンらしき男性が、ワイシャツネクタイをしているけど、下はパンツ姿で日食を見ている。会社に行く準備をしながら家族に促され慌てて表に出てきた…。
ベランダごとに、いろんなストーリーが感じられる、楽しい都会の一時でした。
下町の風情
先日、東京に直下型の地震がきた場合の被害想定が発表され、古い木造住宅密集地が、倒壊や火災の危険にさらされているという報道がありました。
私の住んでいる地域にも、そうした指摘に該当するエリアが沢山あります。
しかし、そうした危険と言われる地域というのは、普段、目にしている分には、とても和やかで優しい風情のある場所なのです。
小さな路地裏の玄関先には、丹精に育てられた鉢植えが置かれていたり、静かに暮らしている老夫婦の姿を見かけたり…。
いろんな思い出があるんだろうな…と感じる古い木造家屋。その思い出を共有する家族が健在なうちは、その姿のままであってほしい。
そろそろ冬物しまおうかな…
そろそろ冬物から夏物へ切り替えかな…と思っています。
冬物の洗濯はボリュームがあるので一度に沢山できず、移行に時間がかかります。
衣替えの度に、タンスの肥やし予備軍の服を発見。
お務めを辞め、家で仕事をするようになってから、ジャケットやスーツなどを着る事が激減しました。もしかしたら打ち合わせで必要になるかも…と思いつつ、何年も御無沙汰しているものもあります。ウエストまわり、大丈夫かしら?
イチョウの街路樹
東京都の木「イチョウ」。シンボルマークにもなっています。
近所の17号線沿いに、そのイチョウの街路樹があります。
毎年冬に枝の剪定がなされ、すっと高い幹に、短いこぶ付きの枝が可愛く、なかなか美しいシルエットを保っています。
この時期になると、新芽が生えてきて、鮮やかな黄緑の並木道に。
初冬の力強い黄色のイチョウも風情がありますが、春のこの時期ならではの黄緑も素敵です。
いつも通る場所で
いつも買い物で通る道。その道沿いに倉庫のような古い建物。
普段は全然気にすることなく通り過ぎていたのですが、ある日その前に綺麗な紫色の花がタワワに咲いていました。
入口の戸の前に茂る草。普段、人の出入りがないことがわかります。
黒板色のガラス戸、中の様子はわかりませんが、開かずの倉庫という雰囲気。
人の営みと、自然の営みのコントラストを感じる光景です。
散る姿もまた美しい
満開の桜の華やかさを1年ぶりに目にし酔いしれたのもつかの間、もう花びらが散り始めています。時間を止めてもう少し眺めていたい気持ちもありますが、散り行く姿に「もののあはれ」を感じ、キューンとするのもまた快感。
アスファルトの道に花びらが舞うのを見ながら、別れを惜しんでいます。
嵐の後に桜
昨日は全国的に台風なみの暴雨風雨で、咲き始めの桜を心配していました。
今日、様子を確認してみたら、どうにか耐えていてくれたようです。近所のものは、4部〜5部咲きといった感じです。週末はお弁当持って花見に行きたい気分。
乳液から入浴剤
お風呂の入浴剤って、無かったら無いでどうにかなるけど、あったら嬉しい…。
ちょうど、入浴剤が切れてしまい、重層とかアロマオイルで代用しようかとも思ったんですが、ちょっと別の方法を試してみました。
ボディ用乳液、ほとんど使い切ったけどボトルの底に少し残っているやつ、どうしても取り出せない…。あきらめて捨てるか迷っていました。
そのボトルにぬるま湯を半分くらいまで入れ、蓋をしてシャッフル。
この液を適当にバスタブに注いでみました。(希釈の具合によりますが、今回は大さじ3程度。)
これがなかなか良い感じ。季節的に乾燥気味の肌が入浴後も適度にしっとり。
安い入浴剤よりも、こっちの方が肌と相性が合うかも…。
ボトルも綺麗に洗えるし、一石二鳥かな。
あの日を振り返る
2011年3月11日、2時46分、私は東京の自宅にいました。
主人が長野の出張から帰宅した直後で、二人でおしゃべりしながら過ごしていたのです。
突然おそった揺れ。いつもの地震より大きいと感じた時には、書斎の本がバッサバッサと落ち、テレビがぐらぐらして台から落ちそうになっていました。
急いでベランダの窓を開けると外から子供の悲鳴が聞こえてきました。テレビを押さえている主人と目を合わせながら、止まらない揺れに、最悪の事態を想像しました。
最初の揺れがどのくらい続いたのかわからないのですが、とにかくとても長く感じました。いろんな思いが渦巻くだけの時間があったのは確かです。
揺れがおさまったようなので、千葉に住む母と妹家族に連絡をとろうとしました。メールを送ったけど返ってきません。当時、海外の友人との連絡用に利用していたFacebookに地震の驚きと無事でいることを投稿してみました。
テレビを見て、震源が東北であることを知りました。東京でこれだけ揺れていたのに、震源が三陸沖であることに驚愕しました。現地はどうなっているのか?そんなことを考えながら、テレビを見ていると、津波の映像が流れてきました。宮城県名取地区の上空からの映像でした。道を走る車を波が呑み込もうとしていました。まるで目を閉じるようにカメラが視線を切り替えました。
固定電話で家族の無事を確認しました。九州の親戚からは心配する電話がかかってきました。その後…、しばらくどんなふうに過ごしていたか覚えていません。余震が続き、原発の不安が増し、テレビやインターネットで情報を集めようとしていたのかもしれません。
今日、あれから1年が経過したことを認識しようとしています。
2時46分に、多くの人がしたように、黙祷をしました。
目を閉じた途端、涙があふれてきました。私は、誰に、何に、黙祷したのだろう?
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